「米と雑穀のヒエラルキー」赤坂憲雄さんの東北学。地方には「地域の生き方」があることを忘れると大変だなと思った話。

これが出る前の本ですかね。

赤坂憲雄さんの「東北学(1)もう一つの東北から」を読みました。

アマゾンでは新刊がなく、中古販売のみ。

私は知人に勧められて、貸してもらって読みました。

難しいこと総評は書評ブログさんにおまかせします。

私が面白いなーと思ったのは、

以下2点の私の「思い込み」が否定されたこと。

  • コメが上で雑穀は下というヒエラルキーがある。
  • 飢饉というのは天候不良などによる自然災害。

米食の歴史なんて、雑穀を食べてきた歴史から見たら浅い。

農民階級には稗や粟を主食とすることが多く、

米は税としての側面が強かった。

また、特別なハレの日には米を食べるということが多かった。

それでも米を推進しようとする国の施策が行われ、

農民たちにも米食が根付いたが、

荒天や干ばつに強い稗(ヒエ)から米への転作を進めたことにより、

飢饉の発生につながった。

これは私の中の「思い込み」が崩れた瞬間でした。

自然食で、「雑穀米」なんてものが流行ってますが、

そもそも米に対して米以外を「雑穀」ってまとめるってのは、

ヒエラルキーだなーと。

ある程度、国全体での方向性は示しても、

地域ごとの多様性を許容できないと

かえって弊害が出てくるんだなと思いました。

東京にある情報だけで地方の将来の青写真を描いて、

法整備やら補助金事業やら考えるのって考えると恐ろしい。

公務員という名のサラリーマン大変ですねー。

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